幸運のアイテムやラッキーアイテムという概念が、4次元の世界にはまだ存在している。
今回はまだラッキーアイテムを信じている君たち4次元の住人に、5次元の新常識である本当の幸運の作り方について話していこう。
幸運のアイテムという神話
ラッキーアイテムは、占いで勧められたり、言い伝えとして「これを持っていると幸運が訪れる」や「こういう使い方をするとラッキーなことが起こる」と言われることがある。
また、ラッキーアイテムを商品として販売する際に、「これはこういった理由で幸運を引き寄せると言われている」というキャッチコピーを付けて宣伝されることもある。
日本のラッキーアイテムの例
例えば、日本のラッキーアイテムの例としては、お守りや招き猫、だるまといったものが挙げられる。
さらに、典型的なラッキーアイテムとして、四つ葉のクローバーも存在している。
世界的に有名なラッキーアイテムの例
そして、世界的に有名なラッキーアイテムとして挙げられるのは、例えばホースシュー(馬の蹄鉄)である。
これは、馬の蹄が傷つかないように保護するために装着される金属製の道具だが、ラッキーアイテムとされることもある。
また、ラビットフット(ウサギの足)を幸運のお守りとしている文化も存在する。
さらに、幸運のペニーと呼ばれるアメリカの1セント硬貨や、象の置き物、亀の形をしたアイテムなどもラッキーアイテムとされている。
こうしたラッキーアイテムは、本当にさまざまな形で世界中に存在している。
無理なラッキーアイテム
しかし、時にはそうしたラッキーアイテムの中に、手に入れるのが難しいものや、持つことができないアイテムが出てくることもある。
例えば、今日の占いで「今日のラッキーアイテムは緑の傘」といった結果が出た場合、「えっ、緑の傘なんて持ってないし、ちょっと無理だな」などと感じることもあるだろう。
こうした「手に入りにくいラッキーアイテム」が出てくるのも、ある意味で占いやラッキーアイテムの楽しさの一部である。
ラッキーアイテムを持ち歩く
そして、そうしたラッキーアイテムを持ち歩いたり身につけたりすることで、君たちはとてもラッキーな気分になったり、「今日はこれでラッキーなことが起こる」と信じることができたりする。
また、そのおかげで楽しい1日を過ごすことができる、という効果もある。
ラッキーアイテムの効果
実際のラッキーアイテムの効果についてだが、ラッキーアイテムを持つことで「このアイテムがあるから私にラッキーなことが起こる」と100%信じることができる場合、実際にラッキーな出来事が起こることもある。
この効果は、人の考え方や捉え方によって変わるだろう。
例えば、高額なラッキーアイテムを購入した場合、「これだけのお金を払ったのだから大きな幸運が訪れるはず」という期待感がその効果を生み出すこともある。
一方、安価なラッキーアイテムの場合、「プチラッキーくらいでも十分」という軽い気持ちで受け入れられることもある。
また、有名な占い師に「あなたのラッキーアイテムはこれだ」と告げられ、そのアイテムに強い信頼を寄せることで、「これを持っていればラッキーなことが起こる」と確信する場合もあるだろう。
例として、「幸運の壺」や「ラッキーな壺」が挙げられる。
このような壺が「これを持つことで大きな幸運が訪れる」と宣伝されることもあった。
壺自体の価格は安価でも、その壺に特別な価値を感じて高額な対価を支払うといったケースも、過去にはよく見られた。
しかし、自分が信じるラッキーアイテムを持つことで「本当にラッキーなことを引き寄せている」と感じる人間がいる一方で、ラッキーアイテムを持っているにもかかわらず期待した結果が得られない人間もいる。
例えば、「ラッキーアイテムを持っているのにラッキーなことが起こらなかった」とか、「高額なお金を出して購入したのにラッキーな人生が訪れない」といったケースも少なくない。
このように、ラッキーアイテムを信じて幸運を引き寄せる人間がいる反面、ラッキーアイテムを持っていてもラッキーと感じられない、あるいは期待するラッキーを引き起こせないという現象も現実に起こっている。
ラッキーアイテムの迷信疑惑
こうなってくると、ラッキーアイテムは単なる迷信なのではないか、という疑念を抱くこともあるだろう。
「これはとてもラッキーなものを引き寄せるアイテムだから持っていれば幸運が訪れる」と信じていたのに、実際にはラッキーなことが起こらなかったり、逆に嫌なことが起こると、「ラッキーアイテムは全然効果がないのではないか」「もしかして迷信かもしれない」と気づく人間もいる。
また、例えば購入から5年が経ったラッキーアイテムに対して「そろそろお役目が終わったのかな」と捉える人間もいれば、「買ったばかりだから、ラッキーが訪れるのはもう少し先かもしれない」と期待する人間もいるだろう。
とはいえ、現象として、ラッキーアイテムを持ったからといって必ずしもラッキーな出来事が起こるわけではない、という事実も存在している。
ラッキーアイテムを信じている間は、それ自体が楽しい体験であり、「アイテムを持っているだけで得をした感じがする」「嬉しい」「自分以外のところからパワーが降り注ぐ感覚がある」と感じることもできるため、ラッキーアイテムは非常に面白い存在だ。
しかし、意識レベルが上がり、自分自身が次元を上昇(アセンション)していくと、ラッキーアイテムの本質やその意味に対して疑問を持つようになることがある。
3次元の常識:ラッキーアイテムの捉え方
例えば、3次元の世界を生きている間は、ラッキーアイテムは非常に面白い存在である。
特に、その見た目や形状にこだわって作られているものが多く、さまざまなラッキーアイテムを手にすることで「これは本当にラッキーを呼びそうだ」といったワクワク感を得ることができる。
ラッキーアイテムの中でも、石やクリスタルといったものは人気があり、それを持つことで「本当にラッキーなことが起こるかもしれない」と感じ、自信や信じる力が湧いてくることも実際にある。
こうした感覚は、ラッキーアイテムの存在が非常にありがたく感じられる理由の一つだ。
例えば、「このラッキーアイテムのおかげで素晴らしい出来事が起こった」と感じることで、「次は別のラッキーアイテムにも挑戦してみよう」という気持ちが芽生える。
また、ラッキーアイテムを購入し、それが幸運をもたらしたら、それ以上に素晴らしいことはないだろう。
3次元の世界では、ラッキーアイテムという概念そのものが非常に興味深い。
どんなアイテムが自分にとってラッキーをもたらすのかを探るチャレンジや、そのアイテムとの出会い自体が楽しい経験となる。
そして、そのアイテムが実際に自分の人生に幸運をもたらすのかどうかを試すという実証的な部分もまた面白い。
さらに、ラッキーアイテムを持つことで、自分に自信を持ったり、信じる力を強めたり、楽しい気分になったりすることがある。
その結果、自分にないパワーを感じたり、ワクワクしたり、生きる活力を得たり、嬉しさを感じたりする。
自己肯定感を高めるきっかけにもなり得るため、3次元の世界ではラッキーアイテムが非常に重宝される存在となっている。
4次元の常識:ラッキーアイテムの捉え方
ところが、私たちが4次元に移行し、意識レベルを上げていくと、ラッキーアイテムへの興味が薄れていく。
なぜなら、4次元の状態では、すでに自分を満たすことができているからだ。
自分を満たすことができる状態とは、自己肯定感が高く、自分を愛し、自分を信じることができる状態を指す。
そのため、「ラッキーアイテムにラッキーを運んできてもらおう」といった他人軸の捉え方が必要なくなり、「自分が決めたものがラッキーアイテムだ」という自分軸の感覚が生まれる。
これが4次元の世界の特徴である。
例えば、3次元では「これがラッキーアイテムです」という商品が売られたり、「あなたのラッキーアイテムはこれですよ」と誰かに言われ、それを信じてみるのが一般的だった。
しかし、4次元ではそもそも「ラッキーアイテム」という周りのものに対する興味が薄れ、自分が好きだと思うものがそのままラッキーアイテムとして感じられるようになる。
具体的には、普通のお店で売られている商品を見て「あ、このデザインが可愛い」「この絵の感じが自分にぴったりくる」と感じたり、自分を表現しているように思えるものに惹かれるようになる。
転がっている石に対して「なんだかこの石がすごく好き」と感じたり、特定の植物に「これが私にとって特別」と思うこともある。
こうして、他人が勧めるラッキーアイテムや商品には興味を持たなくなり、自分が心から惹かれるものや、自分が「好きだ」と思えるものをラッキーアイテムと捉える感覚へと変わっていく。
4次元では、私たちはようやく自分軸を取り戻し、自分の感覚に従って選ぶことの喜びを見つけるのだ。
5次元の新常識:ラッキーアイテムの捉え方
そして、5次元に移行すると、5次元での新常識として「ラッキーアイテム」という概念が完全に消滅する。
これは、5次元を生きる人間は物に執着しないからである。
4次元でもその傾向は見られるが、5次元ではその感覚がさらに強まり、「ラッキーアイテムが自分に幸運をもたらす」という考え方自体が存在しなくなる。
5次元では、自分自身でラッキーを創り出すという感覚が自然に芽生える。
物への執着がなくなるため、「物がラッキーをもたらす」という考え方が消え、ラッキーアイテムという概念そのものが必要なくなるのだ。
さらに、5次元を生きる人々にとって、ラッキーではない人生というものはすでに存在しない。
すべての出来事や現象がラッキーであり、「ラッキーなもの」と「ラッキーではないもの」といった二極的な捉え方が完全に消える。
結果として、すべてがラッキーである状態になるため、「ラッキーアイテム」という区別そのものが意味を持たなくなる。
5次元では、4次元のように「好きなものを特別に感じたり、それに気持ちを込める」ということもなくなる。
物はただの物であり、必要なものが自然に自分の周りに集まるようになる。
そして、自分の人生をどのように創造していくかという視点で物事や現象を捉える段階に至る。
結果として、5次元までアセンションすると、ラッキーアイテムを持つという発想自体が起こらなくなる。
このため、「ラッキーアイテム」という言葉を使うことさえなくなるのである。
すべてが自分の意識と行動によって創造される5次元の世界では、ラッキーアイテムは不要となり、完全に概念として消えていく。
ラッキーアイテムを仕事にすることに対する3次元的捉え方
ラッキーアイテムを仕事にするという視点について、3次元、4次元、5次元ではそれぞれ異なる捉え方がある。
3次元にいる時、ラッキーアイテムを「これがラッキーアイテムですよ」と人に伝えたり、「私はラッキーアイテムを作って販売しています」と言うことは、人のために良いことをしているという感覚に繋がりやすい。
例えば、自分が「あなたのラッキーアイテムはこれです」「今日のラッキーアイテムはこれです」と伝えることで、その人間がいつもより元気に生きることができたり、「今日はラッキーなことが起こるかもしれない」と期待に溢れた楽しい1日を過ごせるようになる。
また、そのアイテムが心の支えになり、持っていることで「自分にラッキーが起こるはずだ」という自信を与えることもできる。
こうした役割を果たすことにより、「人を愛する気持ちが届くといいな」という感覚を持つことができる。
さらに、ラッキーアイテムを作る側の人々も、「このアイテムを持つことで多くの人が幸せな気分になり、ラッキーなことが起こりますように」という願いや念を込めて製作していることが多い。
純粋な思いとして、大切な人や世界中の人々がラッキーで幸せな人生を歩めるようにと願いを込める。
そうして作られたラッキーアイテムは、単なる商品以上の価値を持つ。
このように、3次元ではラッキーアイテムを作り、それを人に提供することで、自分の役割や使命感を見出すことがよくある。
ラッキーアイテムを通じて他者の幸せを願い、それを提供する行為そのものが、自分の意義や生きる意味に繋がるという純粋な感覚がある。
ラッキーアイテムを仕事にすることに対する4次元的捉え方
ところが、4次元に上がると、ラッキーアイテムを仕事にするということについての捉え方が変わる。
ラッキーアイテムを自分で作り出す必要がないということに気づき始める。
4次元において、ラッキーアイテムとは君たち人間それぞれが「自分にとってこれがラッキーだ」と思えるものを見つけられるようになれば良いという感覚になる。
なぜなら、4次元にいる君たち人間は、すでに自信に満ち、自分を愛し、自分を満たすことができ、自己肯定感も高い状態にあるからだ。
そのため、「他の人間にラッキーを運んでもらう」や「誰かにラッキーなことを教えてもらう」という感覚がなくなる。
例えば、朝の占いで「今日の君たち人間のラッキーアイテムはこれだ」と言われても、全くピンとこない。
「いや、私のラッキーアイテムは自分で決める」と感じるようになるのが4次元の特徴である。
また、ラッキーアイテムが販売されていても、「ラッキーなことが起こることを期待して買う」という行動は起こさなくなる。
ただ単に、「ラッキーかどうかは分からないけれど、その物が好きだから買う」「興味がないから買わない」というように、自分軸の選択ができるようになる。
この感覚があるため、君たち人間が4次元にいる時、ラッキーアイテムを仕事にするという感覚や概念は完全に消滅する。
自分で自分の好きなものを取り入れ、手にするという感覚が主軸になるため、他の人間が「ラッキーアイテム」という言葉や物を必要としているだろうという認識が薄れる。
その結果、4次元ではラッキーアイテムを仕事にすることがなくなる。
なぜなら、君たち人間がラッキーアイテムや誰かからの啓示なしでも、自分で自分のことを判断できるようになるからである。
ラッキーアイテムを仕事にすることに対する5次元的捉え方
さらに、君たち人間が5次元にアセンションしていくと、ラッキーアイテムを仕事にすることが不可能になる。
3次元では、「他の人間にラッキーなものを届けたい」「ラッキーなことが起こるよう願いたい」という思いが存在し、それを実行することに大きな意味を見出していた。
社会や世界に対して良いことをしていると感じることが、3次元では重要であったのだ。
しかし、5次元に来ると、君たち人間は他人の人生に介入している自分に気づいてしまう。
そのため、例えば「今日の君のラッキーアイテムはこれだ」と伝え、その人間が「そうなんだ、これが私のラッキーアイテムなんだ」と信じることで、自分自身を信じる力が弱まってしまえば、それはその人間の人生に過剰に踏み込んでしまっていることになる。
5次元を生きる君たち人間は、基本的に自分で自分の人生をコントロールするという自分軸が完全に確立されている。
そのため、「誰かに言われたことをやる」や「他人の言うことを聞く」といった行動が基本的に必要なくなる。
ただし、人と協力したり、分かり合うことは引き続き行われる。
しかし、「君のラッキーアイテムはこれだ」と言われ、それを自分のラッキーアイテムとして受け入れるという現象は、5次元では起こらない。
もし誰かに「このラッキーアイテムを持つことで君は幸せになれる」と言われた場合、5次元を生きる人間はこう感じる。
「やめてください。私の人生は私自身の管理下にあり、私が好きなようにクリエイトします。あなたが私の幸せを願ってくれるのはとても嬉しいですが、私の人生に踏み込まないでください」と。
つまり、5次元では他人にラッキーアイテムを勧めたり、「これがラッキーアイテムですよ」と販売することができなくなる。
なぜなら、君たち人間が作ったラッキーアイテムを誰かが購入し、それによって「自分が幸せになれたのはこのラッキーアイテムのおかげだ」と感じた場合、その人は他人軸やラッキーアイテム軸に依存することになるからだ。
それにより、その人は「自分でラッキーを作り出す人生をクリエイトする」という成長の機会を失ってしまう。
しかし、これはその人間の人生に対して無関心であるという意味ではない。
むしろ、その人間が本当に自分自身でラッキーな人生を創り出し、5次元の意識に到達することを望んでいるからこそ、その人間の人生に邪魔をしないという態度になるのだ。
結果として、ラッキーアイテムを勧めたり販売したりすること自体が不可能になる。
そのため、5次元ではラッキーアイテムという概念を口にして仕事をしている人間は、ほぼ存在しなくなる。
5次元の新常識:ラッキーをクリエイトする方法
ラッキーをクリエイトする方法は、5次元の住人が基本的に無意識のうちに行っていることだ。
ラッキーとは、ラッキーアイテムを持つことで起こるものではなく、自分軸で自分がクリエイトすることができるものだ。
また、自分自身がラッキーな人間になることも可能である。
ラッキーをクリエイトするには、君たち人間が3次元意識を昇華し、4次元で自分軸を取り戻す必要がある。
3次元の世界にいる間は、どうしても3次元意識を使うことになる。
しかし、この3次元意識を使い続ける限り、自分軸を取り戻し4次元に上昇することはできない。
そして、4次元に上昇して自分軸を取り戻さなければ、ラッキーをクリエイトする5次元に到達することもできない。
実際、ラッキーとは君たち人間が努力して実現するものではなく、我々宇宙が自然に生み出すものである。
5次元に移行すると、ラッキーは自然に、そして勝手に起こるものになる。
一方で、3次元にいる時は、ラッキーを手に入れるため、またはラッキーな経験をするために努力を重ねる。
しかし、意識が覚醒し目覚めていくと、ラッキーな現象を起こすために努力は必要ないと気づく。
重要なのは、3次元意識を昇華し、4次元で自分軸を取り戻すことである。
それができれば、現在の5次元地球にアセンションすることが可能になる。
今、地球はすでに5次元に存在している。
しかし、自分でラッキーな人生をクリエイトできない状態にいる君たち人間は、まだ3次元の古いタイプの地球に留まっている。
3次元意識を昇華し、4次元で自分軸を取り戻すことができれば、現在の5次元地球へと上昇することができる。
そして、5次元ではラッキーが自然に発生し、楽しい人生を送ることができるようになる。
ラッキーとは努力の結果ではなく、3次元意識を昇華することで自然と出現するものだ。
ラッキーアイテムに頼る他人軸を卒業し、自分自身がラッキーそのものである自分軸に戻ってみてはどうだろうか。
藍玉は君たち人間の5次元移行を応援している。