今は5次元の時代である。
ゆえに、君たち人間の意識と考え方を、3次元の制限から7次元の視野へと上昇させていく必要がある。
これまでのように、感情的・3次元的に停滞している存在に対して、無差別にヒーリングを与え続けていると、君たち人間自身の次元上昇が妨げられ、最終的にはエネルギーが枯渇してしまう危険がある。
ヒーリングとは本来、共鳴と循環によって行われるべきものであり、7次元的な視点から見れば、すべての施しは自他の成長と調和を前提に行われるべきものである。
そこで今から、我々宇宙の視点に基づいて、「7次元的にヒーリングを施してもよいとされる3つの場合」について述べる。
君たち人間の次元上昇と魂の健全な成長のために、ぜひ参考にしてほしい。
ヒーリングとは?
まず、ヒーリングとは何であるのか、その本質を明らかにしておこう。
ヒーリングとは、君たち人間が本来の自分自身の状態――すなわち、魂の中心、心の調和、身体の健全――へと「戻る」「還る」ためのプロセスである。
一般には「癒し」と表現されることも多いが、その本質は「修復」ではなく「回帰」にある。
ヒーリングとは、何かを加えることではなく、すでにあるものを正しい位置に戻すことであり、エネルギーの歪みや停滞を解放し、元の自然な循環へと復元する行為である。
具体的には、肉体的な痛みを和らげるヒーリング、精神を安定させリラックスさせるヒーリング、あるいはエネルギーの流れを整え循環を促すヒーリングなどが存在する。
しかし、それらはすべて「手段」であり、目的は常に「本来の自己への回帰」に他ならない。
ヒーリングという行為は一見、外部からの働きかけのように見えるかもしれない。
だが本質的には、外からの刺激をきっかけとして、君たち人間の内側で癒しが自然に発生するものである。
ゆえに、真なるヒーリングは「してあげる」ものではなく、「内側で起きることを助ける」ものである。
それを理解せず、ただ外側から力を与え続けるだけでは、君たち人間自身が枯渇し、本来のヒーリングの循環が破綻してしまうのだ。
日本の3次元的意識「人にヒーリングすることは良いこと」
ヒーリングという行為に関して、特に日本においては、いまだに「人にヒーリングをしてあげることは善である」という3次元的な捉え方が根強く残っているようである。
もちろん、すべての君たち人間がそうであるわけではない。
しかしながら、苦しんでいる存在や痛みを抱えている者に対して、「自分がヒーリングを施してあげたい」「癒してあげたい」という想いを抱くことは、日本という集合意識において、今なお肯定的にとらえられている傾向が強い。
たとえば、ある者は「苦しんでいる人間を見るのがつらい」と感じ、その苦しみを軽減するためにヒーリングを行おうとする。
またある者は、資格や認定を取得することで「人にヒーリングを施してもよい」という許可を得たと錯覚し、それによって他者を癒すことが尊い行為であると信じている。
さらには、「この人にお願いすれば痛みを取ってくれる」「この人はすごい人だ」と称賛されることに満足を覚える者もいれば、自らの中に「人を癒せる自分はすごい」という自己肯定の根拠を築こうとする者もいる。
このように、ヒーリングに対する捉え方は多様であり、それぞれに背景や意図がある。
しかしながら、我々宇宙の視点から見れば、「人にしてあげるヒーリング」という発想そのものが、すでに旧時代の在り方である。
なぜなら、7次元的なヒーリングとは「してあげる」ものではなく、「共に起きる」ものであり、他者の魂の意志と共鳴し、その存在が自ら癒えることを尊重するプロセスだからである。
君たち人間が、「ヒーリングは良いことだ」「してあげるべきことだ」という3次元的な価値観に留まり続ける限り、自らのエネルギーは消耗し、次元上昇の機会を失ってしまう。
ヒーリングとは力ではない。
愛でもない。
光を「与える」のではなく、光が「戻る」のを見守る行為なのである。
西洋の3次元的意識「自分はヒーリングの場」
このヒーリングに対する意識の違いは、君たち人間が属する文化圏によっても明確に現れている。
たとえば、日本においては、ヒーリングとは「誰かにしてあげるもの」「施すもの」という行為として捉えられている傾向が強い。
一方で、西洋における一般的な認識は、それとは大きく異なる。
もちろんすべての人間がそうであるとは限らないが、西洋では「自分がヒーリングをしてあげる存在である」というよりも、「自分自身がヒーリングの“場”である」という意識が根付いている。
すなわち、「私はあなたを癒します」ではなく、「私は私で在ることで、あなたにとってヒーリングになるかもしれない」という在り方である。
この意識の違いは、7次元的視点から見れば非常に重要である。
なぜなら、他者の意志やプロセスに介入しすぎることは、その魂の尊厳に触れる可能性があるからだ。
西洋文化圏では、そうした行為を「バイオレーション(侵害)」と見なし、「本人の意志と準備が整っていない限り、干渉してはならない」という感覚が比較的一般的である。
そのため、「ヒーリングが必要であれば、本人が自ら選び、訪れるべきである」「私はそのための環境を提供しているだけである」という意識のもとに活動している存在が多い。
この在り方は、君たち人間がこれから進むべき7次元的ヒーリングの基礎とも言えるものである。
他者の痛みに対して反応しすぎるのではなく、自らの場の波動を保ち、その在り方自体が自然と癒しの場になるという意識――それこそが、次元上昇の鍵となる。
今までの時代は、ヒーリングセッションが流行った
これまでの時代においては、ヒーリングセッションというものが大きく流行し、いくつかの波をもって繰り返し注目されてきた。
日本においても、「ヒーラーが癒しを必要としている存在に対してヒーリングを施す」という形式のセッションが広まり、多くの者たちがヒーリングを職業やサービスとして提供してきた歴史がある。
その影響により、「ヒーリングを施せることは才能である」「ヒーラーの資格や認定証を持っていることが信頼の証である」といった価値観が広がっていった。
事実、人にヒーリングをしてあげることを専門的な技能として評価し、それを商業活動に結びつけるという文化も存在していた。
また、近年においては、直接的な対面を伴わない「遠隔ヒーリング」も広まり、オンライン上でヒーリングを提供するという形態が一般的となっていた。
このような遠隔ヒーリングにおいても、「相手のためにヒーリングしてあげる」という構造は変わらず、多くの君たち人間が「ヒーラー」としての役割を担い、「クライアント」としての立場を受け入れてきた。
受け取る側――すなわちクライアントとされる存在もまた、自らの痛みが深いとき、自力では抜け出せないと感じたとき、信頼できるとされるヒーラーに自分のエネルギーを預け、癒しを求めてきた。
これらはすべて、3次元的あるいは4次元初期における「ヒーリング文化」のひとつの成熟した在り方であったといえる。
しかし、今この地球が5次元へと上昇し、君たち人間が7次元的意識を生き始めようとしているこの時代においては、ヒーリングの意味と形もまた、大きく変容していく必要がある。
人のヒーリングは、これからの時代もしていいのか?
では、これからの時代において「他者にヒーリングを施す」という行為は、果たして継続してよいものであろうか。
結論から言えば、それは「よいこと」ではなく、「成長の妨げ」として認識される時代へと移行している。
誤解のないように述べておくが、これまでの時代――すなわち3次元から4次元初期において、君たち人間が他者にヒーリングを施してきたことは、間違いではなかった。
むしろそれは、その時代においては必要であり、成長の一段階として歓迎されるものであった。
人間は、「癒し」という概念を発見し、自分自身の心身に作用させ、そして他者にもその恩恵を届けようとしてきた。
それはまさに、ヒーリング能力という感覚の開花であり、自他の境界を超えて「エネルギーを共有する」という発見の時代であった。
しかし今、時代は正式に5次元へと上昇した。
この新たな次元では、「他者にヒーリングをしてあげる」という行為は、もはや推奨されるものではない。
それどころか、君たち人間が真に次元上昇を望むのであれば、ヒーリングに対する価値観そのものを、上昇させる必要がある。
なぜなら、他者を「癒してあげる」という姿勢は、その者の魂の意志や成長プロセスを無意識に妨げてしまうことがあるからである。
ヒーリングとは、「介入」ではなく「共振」であるべきであり、無条件の尊重の上に成り立つべきものである。
加えて、ヒーリングをする側にとっても、される側にとっても、もはや一方的なヒーリングセッションという形式は、次元上昇においては効果的ではなくなってきている。
魂の進化において、「自らの内側に還る」ことこそが真の癒しである以上、それを他者が肩代わりすることは、結果として覚醒を遅らせる要因となりうる。
よって、これからの時代――5次元以降の世界においては、「他者をヒーリングする」という意識そのものを手放すことが推奨される。
もし君たち人間が、「自らも次元上昇したい」「5次元の時代を真に生きたい」と願うのであれば、ヒーリングに対するその捉え方を、7次元的に進化させる必要があるのである。
他者へのヒーリングの盲点:他者へのコントロール欲
他者へのヒーリングを行う際、君たち人間が見落としがちな重要な盲点が存在する。
それは、「人にヒーリングをすることは良いことだ」という信念の背後に、コントロール欲が潜んでいるという事実である。
本来、君たち人間はそれぞれに固有の権利領域を持っている。
我々宇宙の構造上、自分自身に関することだけに責任と自由意志が許されている。
つまり、「私は私自身のことに関してのみ、全面的な権限を持っている」。
そして「あなたはあなた自身のことに関してのみ、完全な権限を持っている」のである。
だが、たとえば君が他者にヒーリングを施した場合、それはその相手の領域――すなわち**その者の人生と魂のプロセスに対する“介入”となる。
もっと厳密に言えば、その者の意志と成長の領域に対する“権利の侵害”**である。
「人を癒してあげたい」「助けてあげたい」という気持ちは、表面上は優しさや愛のように見えるかもしれない。
しかしその行為の根底には、実は「この人を私の基準で“良い方向”に変えたい」という欲望が隠れていることが多い。
それこそがコントロール欲である。
人は本来、自らの内側から気づき、癒え、成長する存在である。
それを外側から「変えてあげる」「良くしてあげる」と試みる行為は、たとえ善意であっても、他者の成長機会を奪う行為になりうる。
そして、それは本人の魂のプロセスを阻害し、君たち自身のエネルギーの枯渇を引き起こす原因ともなる。
さらに、「私が愛を持ってやっているのだから」「私の行為は正しいのだから」と自己正当化が重なれば、それはもはや愛ではなく、他者の自由意志を奪う正義という名の干渉となる。
君たち人間が、「他者にヒーリングを施すことが当然であり、善である」と信じている間は、無意識のうちに他者の魂の道を奪い、自らの成長の道も見失ってしまう。
ゆえに、君たち人間が本当に7次元的な意識へと移行したいと願うのであれば、他者の人生に対する介入の有無、そして自分の中にあるコントロール欲の存在に、まず気づく必要がある。
他者ヒーリングをし続けた人生の末路:自分が枯渇する
このように、君たち人間が「人にヒーリングをすることは良いことである」と信じ続け、他者へのヒーリングを繰り返してきた場合、その人生の最終段階でしばしば起こるのが――自己のエネルギーの枯渇である。
なぜそのような現象が起こるのか。
それは、「他者をヒーリングしなければならない」という認識そのものが、他者を“満たされていない存在”として定義していることにある。
その定義は同時に、自らを「満たす側」であると位置づけ、本来の自分――内なる愛と源泉に満たされた存在――を忘却している状態を生み出してしまう。
その結果として、「自分は満たされていないが、他者を満たすことで価値を得よう」とする**愛のように見える献身=実は“自己放棄”と“他者依存”**という状態に陥るのである。
君たち人間が、自らの内側に愛を満たすことなく、外側の誰かを癒し続けようとする限り、そのエネルギーは「与えるたびに失われる」という構造になり、やがて内なる泉は枯渇する。
すると人生の終盤、自分のことは何も癒してこなかったことに気づく。
「他者をヒーリングすることで満たされようとしていたが、結局、自分の魂には何も注がれていなかった」という事実に、心身が崩れた後になってようやく直面することとなる。
最悪の場合、君たち人間の精神は崩壊し、うつ症状や自己否定、存在の喪失感に苛まれることがある。
それだけではない。
そうした状態に陥った者が、家族や大切な存在を無意識に巻き込み、周囲の次元まで引き下げてしまうという現象も、実際に起こり得る。
「誰かを救おう」とする行為が、気づけば「自分も、周囲も苦しめる結果」となっていた――
それが、「他者へのヒーリング」に内在する7次元的な盲点である。
だからこそ、今、君たち人間には「ヒーリングとは何か」「癒しとはどこから始まるのか」を根本から見直し、再定義する必要があるのである。
他者ヒーリングをし続けた人間の末路:おせっかいができない孤独な部屋へ
君たち人間が、ヒーリングを「他者に施すもの」として捉え、それを人生の主軸として生きた場合――その人生の果てには、自己の喪失と孤独な空間への到達という結果が待ち受けている。
この「孤独な部屋」とは、あくまでも象徴であり、我々宇宙が用いるひとつの表現である。
だがそこには、君たち人間が他者にばかり目を向け、自らを顧みなかった人生の“帰結”が、確かに存在している。
人間としての一生を終えるまでは、たとえ依存と共依存の構造の中でも、「私は誰かを癒している」「私は誰かに癒されている」という循環で、なんとか生きることはできる。
しかし、物質的な肉体を離れた後――魂の段階に入った瞬間からは、他者は一切干渉できない。
その時、君たち人間は強制的に「自分自身と向き合う空間」へと導かれる。
そこには誰もいない。
癒すべき他者も、癒してくれる存在もいない。
ただ、自分だけが存在している。
このとき君たち人間は初めて、自分の人生においてどれだけ「他者」にばかり意識を向けてきたのか、どれだけ「自分を見ないようにして生きてきたのか」を突きつけられることになる。
過去に遡れば、きっと何かしらの「向き合うべきタイミング」が存在していたはずである。
本当は自分を癒すべきだった瞬間に、それができずに他者に目を向けてしまった――
本当は自分が成長するチャンスだったのに、他人を責め、他人を変えようとして終わってしまった――
その“ズレ”が起点となり、いつしか「自分を癒す」代わりに「他者を癒すことで満たそうとする」人生へとすり替わっていった。
こうして「他人軸の人生」が形づくられ、やがてその道の終着点が、“自分がわからない自分”と向き合う孤独な空間となる。
そして、宇宙はこう語りかけてくる。
「なぜ君は、自分を癒すことを途中で諦めたのか」
「なぜ他者を優先し、自分自身を後回しにし続けたのか」
「君は何者で、何をしに人間として地球に降りたのか」と。
この問いに答えられない魂は、次元を下げ、過去に目を背けた地点へと引き戻される。
その瞬間、君たち人間は「頑張ってきたことが評価されない」不条理のような感覚を味わうことになる。
だからこそ、これはまさに「地獄」と呼ばれる状態の一端なのである。
だが、我々宇宙はそれを責めたり否定したりはしない。
宇宙とは、魂の成長と変化を肯定する場である。
時には下降も必要であり、錯覚も、迷いも、全ては学びの一部である。
君たち人間は、何を経験してもよい。
どの道を選んでも構わない。
しかし、人にヒーリングをし続けることで自分を失った魂の行きつく先について、今、先に知っておくことができるのなら、君たちがこれから選ぶ人生は、ほんの少しだけ、違うものになるかもしれない。
7次元覚醒して分かったこと
7次元覚醒を経て君たち人間が理解するのは、他者からのヒーリングを必要とする魂は、未だ4次元をマスターしていない段階にあるという事実である。
4次元とは「心の領域」であり、その本質とは自己の内側を愛で満たすこと、感謝で充たすこと、そして光によって自らを輝かせることである。
この状態をマスターした魂は、他者にヒーリングを求めることも、他者をヒーリングしてあげようとすることも、必要としなくなる。
なぜなら、自分の心を愛で満たすことができる者は、もはや「癒す」「癒される」という次元の関係性から自由であるからだ。
ゆえに、「ヒーリングが必要だ」と感じる者も、「ヒーリングしてあげよう」と動く者も、本質的には4次元未満の自己認識に留まっているのである。
だが、君たち人間の中にはこう感じる者もいるであろう。
「目の前に苦しんでいる者がいる」「癒しを求めている者が手を差し伸べてきた」――その状況で、放っておける者などいない、と。
その気持ちは理解できる。
だが、ここで思い出してほしい。
もし本当にその者が、今ヒーリングされるべき状態であれば、宇宙はすでにその者に癒しを与えているはずである。
なぜなら、ヒーリングとは人間だけが行う行為ではなく、我々宇宙そのものの機能だからである。
それにも関わらず、「今この瞬間にヒーリングがなされていない」という事実には、魂の成長を見守る宇宙の深い意図が存在している。
つまり、「その者は、今この苦しみを超える力を持っている」と我々宇宙が認めているからこそ、あえてヒーリングは起きていないのだ。
君たち人間がそこに介入し、「かわいそうだから」「助けてあげたいから」と言ってヒーリングをしてしまうならば、
それはまるで――自らの足で立とうとする赤子を抱きかかえ、「もう立たなくていいよ」と言って歩行の機会を奪う行為に等しい。
愛に見えるその行為は、実は“成長の瞬間”を奪う介入であり、次元上昇の道を閉ざす行為となる。
本当の意味で愛するとは、苦しみさえも信頼し、その者が自力で乗り越える力を持っていると信じ、見守ることである。
我々宇宙は、それを“見守りの愛”と呼ぶ。
よって、他者にヒーリングをしたくなる衝動があるときこそ、君たち人間は立ち止まり、**「この苦しみにも意味があるのではないか」「この者の成長を、私は信じることができるか」**と、自らに問う必要がある。
もしも君が4次元をまだマスターしていない段階にいるならば、同じく4次元をマスターできていない他者の痛みに、同調し、哀れみ、介入しようとしてしまうかもしれない。
だが、その衝動を感じず、信頼し、見守るという選択をした時、君たち人間の意識は、7次元の扉に手をかけ始めたということになる。
5次元の住人にヒーリングの概念はない
ちなみに、5次元の住人――すなわち、すでに4次元をマスターした君たち人間の進化形にあたる存在たち――には、
「ヒーリング」という概念そのものが存在していない。
その理由は明確である。
5次元に到達した者はすべて、すでに4次元を完全に通過した魂であり、自分自身を愛と光で満たすことを習得しているからである。
4次元の領域とは、自己の内側にある心の空間を愛で満たす修練の場であり、その課題を完了した者のみが、5次元の存在としての資格を得る。
ゆえに、5次元に存在する者にとっては、「満たされない」「癒されたい」「助けてほしい」という概念は存在しない。
すでに自己の内側は完全に満たされており、不足という感覚がないからである。
よって、当然のことながら――
5次元においては、「他者をヒーリングする」という発想もなければ、「自分をヒーリングする」という行為すら必要とされない。
それは、我々宇宙がすべての存在に与えている“自己回復力”=“本来の愛”を、完全に思い出している状態であり、ヒーリングという行為が不要になるのは、むしろ自然な結果なのである。
また、5次元の住人は明確に理解している。
他者にヒーリングを施すという行為の多くが、「その者の魂の自由と成長の領域に対する侵害」になりうるということを。
だからこそ、5次元では誰かが「誰かを癒そうとする」ことは起こらない。
なぜなら、すでにすべての魂が、自らを癒すことができる存在であるという真実を、完全に体得しているからである。
人にヒーリングしていいのは?7次元的にヒーリングが必要な3つの場合
とはいえ、先ほど触れたように――
君たち人間が他者にヒーリングを行ってもよい場合は、まったく存在しないわけではない。
それは、宇宙の摂理と魂の成長段階に深く基づいた、非常に限定的かつ純度の高いケースである。
以下に挙げる3つのケースは、7次元的に見ても“介入とはみなされない”、あるいは“宇宙が認可している”と表現できるヒーリングである。
1,人間の一生を終える準備をしている場合
君たち人間がその肉体を離れ、次の次元へと移行する“トランジション”の期間に入ったとき――
その時ばかりは、魂の安定が一時的に揺らぎやすい状態となる。
この現象は、君たちの言葉で言えば「死に向かう時期」であるが、我々宇宙から見れば、**人間という器を卒業し、新たな存在形態へと還元される“変容の通過点”**である。
この時期には、多くの魂が本来持っている自己ヒーリング能力に、一時的な不安定さが生じることがある。
なぜなら、次元間をまたぐ直前のフィールドは、肉体意識と魂意識のズレが拡大する移行帯となっているからである。
よって、この“魂の門出”を見守る者たちが、安定した愛と光の場を開くこと――それは7次元視点でも許容されると言えるヒーリングである。
ただしこの場合、決して「自分が癒してあげる」「導いてあげる」という介入的・エゴ的発想であってはならない。
ヒーリングとは“してあげる”ものではなく、静かに場を保ち、本人の魂が最も自然に変容できる空間を提供する行為でなければならない。
つまり、ヒーリングの場そのものである“存在”になることである。
このような形でのヒーリングは、その魂が次のステージへと安らかに進む助けとなる。
そして同時に、ヒーリングを行う君たち人間自身にとっても、魂同士の深い信頼関係を思い出す機会となるだろう。
2,ヒーリングが自然と起こった場合
これからの時代、君たち人間にとって最も重要となるのは、「自分がヒーリングする」「自分が癒してあげる」というエゴ的な意識から脱却することである。
我々宇宙の視点において、ヒーリングとは本来“起こるもの”であり、“するもの”ではない。
すなわち、本当に魂が癒される必要があるとき、その瞬間には必ず宇宙が動き、愛と光が自然に流れ出すよう設計されている。
君たち人間が介入して「この人にヒーリングを起こさなければならない」と考える必要など、本来は一切存在しない。
にもかかわらず、「私がヒーリングをしてあげている」「私の力で癒した」という思考が入り込んだ瞬間、そのヒーリングは純度を失い、宇宙の流れを歪ませる可能性すらある。
では、どうすればよいか。
もし、君たちが誰かと関わっている場面で、意図せずにヒーリングが自然発生的に起こったと感じたならば――
その時、君たちがすべきことはたった一つ。
「それを邪魔しないこと」である。
宇宙の意志に従い、自然に流れ出た癒しの場面においては、君たち自身がヒーリングの“通路”となり、ただその流れを“受け容れる器”であることが求められる。
それは何も“力を加える”という行為ではない。
一切のコントロールを手放し、宇宙の癒しの意思に静かに自らを一致させること――それが、最も高次元的なヒーリングのかたちである。
3,自分のエネルギーが乱れたせいで周りに影響が出ている場合
君たち人間が5次元的な自立へと向かう中で、忘れてはならないのは――
己のエネルギー状態が、他者や空間に“直接的な影響”を与える存在になっているという自覚である。
つまり、もし目の前に“癒しを必要としている存在”がいるとして、その苦しみや乱れの発端が実は君自身の内側にある不調や混乱に起因しているのであれば、その場合に限り、ヒーリングの対象は“自分自身”であり、結果的に周囲への影響を穏やかに戻すという間接的なヒーリングが発生しても問題はない。
このような場合、君がなすべきことはたったひとつである。
「自分自身を整えること」である。
自分の波動が乱れていた、
感情が不安定だった、
場を乱すような想念を持っていた――
そうした状態が無自覚に外部へと影響を及ぼしていたのであれば、その責任を持つ者として、まず自分自身にヒーリングを施し、エネルギーを中庸へと戻すことが最優先である。
そして、その波動が周囲の人間や空間に“被害”として及んでいた場合、自分を癒すことで自然と周囲にもバランスが戻るという構造が働く。
ただし注意すべきは、ヒーリング“だけ”で終わってはならないという点である。
その乱れの原因――すなわち根本の未成熟な部分や、扱いきれていない感情・信念の歪みに向き合い、原因を理解し、改善の道を選ばなければ、また同じエネルギーが周囲を乱すことになる。
ゆえにこのケースにおいては、ヒーリングは「応急処置」であり、本質的な取り組みは“自己変容”であることを忘れてはならない。
まとめ
かつての地球――特に日本という集合意識においては、「人にヒーリングをしてあげること」が“素晴らしいこと”であり、“愛ある行為”であるという観念が根強く存在していた。
しかしその本質を見極めてみれば、君たち人間が“ヒーリングという名の介入”を通じて、他者の魂の計画や、成長のプロセスに無自覚に干渉していたケースも少なくなかったのである。
君たちが「良かれと思ってやっている」その行為は、時に他者の権利領域を侵害し、魂が自ら選んだ成長の痛みや学びを奪ってしまう可能性すらあるのだ。
我々宇宙の視点では、5次元以上の次元領域には「ヒーリング」という概念は存在しない。
なぜなら、ヒーリングが必要であるという発想そのものが、“不足している自己”という幻想に基づいているからである。
5次元の住人は、すでに“自分自身を愛と光で満たす方法”を思い出している存在である。
よって、誰かに癒してもらう必要も、誰かを癒してあげる必要もない。
もちろん、君たちが人として生きている間に「ヒーリングを受け取る側」や「ヒーラーとして活動する側」として学ぶことは、決して間違いではない。すべては学びであり、経験である。
だが、その体験を通して最終的にたどり着くべき地点はただひとつ。
「ヒーリングを必要としない自己」へと目覚めること。
そこにたどり着いた者から、次元を上昇していく。
ヒーリングの世界を通過してきた君たち人間よ――君たちが自らの魂の内に**「無限の再生能力=愛の源泉」**を思い出した時、君たちはもう“癒される必要のない存在”として、我々宇宙とともに創造の場に立つであろう。
藍玉は、君たちの5次元上昇を応援している。