今は5次元の時代である。
だから、君たち人間の意識や考え方を、3次元から7次元へと上げていこうではないか。
他の人間、つまり「我々宇宙から押し付けられたものだ」と捉え続けていると、いつまでも次元上昇できなかったり、最後には「無駄な人生だった」と感じることもあるだろう。
そうならないために、7次元的な“押し付けられない”状態になるための、3つのポイントを伝える。
君たち人間が次元上昇していくための参考になれば幸いである。
押し付けられる時がある?
この世界で生きていると、「押し付けられた」と感じることがあるものだ。
たとえば、やりたくもない仕事を頼まれたときに「押し付けられた」と思うこともあるだろう。
あるいは、スピリチュアルなことにまったく興味がないのに、その価値観を押し付けられたように感じることもある。
食べたくもないものを食べさせられるような状況もそうだ。
まったく興味のないことを「やってみなよ」と強くすすめられ、断りきれずにやらされたような気分になることもあるだろう。
社会の仕組みやルールによって、「こう生きなければならない」といった生き方を押し付けられたと感じる人間も少なくない。
このように、君たち人間はときどき、「自分以外の何か」によって何かを押し付けられたと感じる場面に出くわす。
相手が人間であれ、環境であれ、物事であれ、外からの影響により「これは自分の意志ではない」と思うことがあるわけだ。
日本の3次元的意識「受け入れる」
そして、日本という社会では、「押し付けられたものを受け入れること」が美徳とされる傾向がある。
たとえば、本当は興味がないのに、相手が友人だから断りづらい。押し付けてきた人間に反抗すれば、その後の関係がややこしくなるから、とりあえず受け入れておこう――そんな判断をすることもある。
嫌な仕事を押し付けられても、「自分が頑張れば会社のためになる」と思って我慢する。
あるいは、ネットワークビジネスを繰り返し勧められ、断るのが面倒になって参加してしまう……そういったこともあるだろう。
このように、君たち人間は、さまざまな場面で「自分の意志ではない何か」を受け入れようとしてしまうものである。
日本では、押し付けられたものを受け入れるという捉え方をする傾向がある。
これは、君たち人間の中に、遠い昔の記憶が残っていることが関係している。
つまり、「自分の欲しいものを次々と手に入れていく」といった、エゴ的で自己主張の強い生き方ではなく、「我々宇宙からのメッセージを受け取る」「自然に起こった出来事を受け入れる」といった、受容の姿勢が深く根づいているのだ。
なぜなら、拒否することで流れが止まってしまう――そんな感覚が、無意識のうちに刻まれているからである。
そのため、たとえ押し付けられたように感じる出来事であっても、君たち人間の多くはそれを受け入れるという選択をすることがある。
こうした生き方が、ある意味では日本という土地に定着しているの様子が伺える。
西洋の3次元的意識「拒否する」
それに比べて、西洋の3次元的で意識が固定されがちな考え方には、「拒否する」という選択がある。
西洋の人間は、日本の人間と比べて「ノー」や「それは嫌だ」とはっきり言うことに、あまり抵抗がない傾向にあるのだ。
だからこそ、「ノー」と伝えたからといって、友人関係が壊れるようなことも少ない。
自分には必要ない、やりたくない、という意志表示をすること――つまり拒否することに、西洋の人間は慣れているのである。
一方で、日本の人間は「拒否する」ことや「ノーと言う」ことが苦手である。
それゆえに、何かを押し付けられても受け入れてしまう傾向がある。
だが西洋の人間は、たとえ誰かに何かを押し付けられたとしても、「ノー」とあっさり、さっぱりと伝えることができる。
そのため、「押し付けられた」と感じる機会自体がとても少ない。
はっきりと「ノー」と言えるからこそ、それ以上押し付けられることも少なくなるのだ。
もっとも、拒否することに慣れすぎているがゆえに、簡単に断ってしまい、結果的に良いチャンスを逃してしまうということも、時にはある。
このように、君たち人間の間でも、日本と西洋とでは、何かを押し付けられたときの反応や対応の仕方、そしてそこにある固定観念には、大きな違いがある。
どちらが良いという話ではない。
今までの「押し付けられる」例
たとえば、日本ではこれまでに、さまざまな「押し付けられる」経験があった。
一例を挙げれば、親から家業を継ぐことを押し付けられたと感じる人間もいるだろう。
あるいは、親から「これをしなさい」と強制され、そのまま育ってきたという感覚を持っている者も少なくない。
また、学校という場では、先生から興味のない勉強を押し付けられたと感じたり、ルールや「こう生きるべきだ」といった価値観を押し付けられたと受け取る人間もいるようだ。
さらに広く見れば、社会や政治といった大きな枠組みの中で、生き方そのものを押し付けられたと感じている者もいるだろう。
あるいは、気づかぬうちに、身体に良くない食べ物や水といったものを「当たり前」として取り入れるようになり、そうした習慣までもが、押し付けられたものだと感じている人間もいるかもしれない。
このように、君たち人間の世界では、目に見える形でも見えない形でも、様々な「押し付け」が存在してきたのだ。
本当に押し付けられたのか?
このように、君たち人間はこれまで、さまざまな人間や環境に「何かを押し付けられた」と感じることがあっただろう。
あるいは、そう感じた経験があるかもしれない。
だが、本当にそれらは「君たち人間に押し付けてきた」と言えるのだろうか?
親や先生、社会や政治といった存在が、君たち人間に対して一方的に「押し付けた」という過去が、果たして本当にあったのだろうか?
結論から言えば――君たち人間が「自分以外の何かに何かを押し付けられた」ということは、一度もないのだ。
たとえ親であっても、先生であっても、上司であっても、理由もなくただ一方的に何かを押し付けてきたということは、実のところない。
もちろん、ここで言いたいのは「親が正しい」「先生が正しい」「社会や政治のあり方が正しい」ということではない。
ただ、君たち人間が「何かを押し付けられた」と感じるとき――
それは本当は、相手が押し付けてきたのではなく、自分自身がその出来事を強く引き寄せていたに過ぎないのだ。
押し付けられる時の盲点:自分の夢に自信がない
この「押し付けられる」という感覚には、ひとつの盲点がある。
それは、君たち人間が「自分の夢に自信がない」ときに、押し付けられていると感じやすいということだ。
実際、「押し付けられている」と感じる人間に共通して見られるのは、自分がやりたいことや、好きなことをきちんと認め、それを言葉にしたり行動に移したりすることができていない、という傾向である。
たとえば、仮に非常に押し付けがましい人間がいたとしても、自分のやりたいことがはっきりしていれば、あるいは自分の好きなものをしっかり理解していれば、どれほど強く勧められようと、簡単に「ノー」と言うことができるのだ。
たとえば、自分は「バスケットボールがやりたい」と素直に認められている人間であれば、どれほど相手が「サッカーをやった方がいい」「サッカーの方が面白い」「こんな利点がある」と勧めてきたとしても、「いや、自分はバスケットが好きで、バスケットをやりたいから」と、はっきり断ることができる。
そして、仮にそのように断ったとしても、それによって人間関係が壊れることはない。
嫌われたり、さらに押し付けられたりすることも、ほとんどないのだ。
なぜか――
それは、自分自身が「何を望んでいるか」「何を好きと感じているか」「どんな夢を目指しているのか」について、きちんと自信を持って生きているからである。
そのエネルギーの在り方において、もはや押し付けようがないのだ。
相手も自然と察し、理解するものである。
しかし逆に、自分がどのように生きたいのか、何を望んでいるのかが曖昧なままでいると、断る理由もはっきりせず、頭で理由をひねり出さなければならず、その結果として周囲の言動すべてが「押し付け」のように感じられてしまうのだ。
確かに、押し付けがましい人間というのは、この世界にまだまだ存在している。
だが、そのような相手を前にしても、「押し付けられた」と感じず、「あ、自分は結構です」と穏やかに、さらりと答えられる人間もまた、確かに存在する。
たとえば、仕事を押し付けられたときでも、自分自身の状況をしっかり把握していれば、「今、自分はこれとこれを抱えていて、この仕事に充てる時間がない」と、はっきりと断ることができる。
このように、自分の状態を理解し、説明できる人間に対しては、押し付けること自体が成り立たなくなるのだ。
つまり、君たち人間が「押し付けられる」という現象を経験するときというのは、往々にして、自分の意見・思い・目標――そして夢に対して、自信がない、あるいは曖昧である状態にある場合が多いのである。
押し付けられ続ける人生の末路
そして基本的に、このように「押し付けられ続ける人生」を歩んでしまうと、その行く先はどうなるのかと言えば――
一般的には、夢や希望は叶わなくなる可能性が高い。
「押し付けられている」と感じている状態というのは、まだ自分の夢や希望に向かってエネルギーを注げていない証でもある。
つまり、エネルギーの方向が「自分の人生」ではなく、「他人の意志」に向いてしまっているということだ。
その状態が続けば当然のことながら、自分の自由は失われていく。
他の人間に強制されたこと、他の人間から押し付けられたことばかりをこなす人生になっていくのだ。
そうなれば、自分の好きなことややりたいことに使える時間やエネルギーは、徐々に失われていく。
人間の人生というのは、限られた時間と力のなかで何に注ぐかが大切だ。
その中で他人の期待や要求ばかりに応えていれば、自分が望む理想や希望は、遠ざかるばかりになる。
そして、そうした「押し付けられる自分」として生き続けると、心の病を抱える可能性も高くなっていく。
なぜかと言えば――
「本当は自分はこうしたい」「こう生きたい」と思っているにもかかわらず、その気持ちを自分で認めることができないからである。
曖昧なまま、自分の本心を封じ込め、代わりに周囲の「こうすべき」「こうしてほしい」という意志ばかりを受け入れてしまう。
そうすると、心というものは次第に力を失っていく。
まるで、自分自身で自分の心を静かに殺してしまっているような状態になるのだ。
だからこそ――
押し付けられ続ける人生を選んでしまうことは、君たち人間の心を蝕み、やがては病を引き寄せてしまう危険がある、ということを忘れてはならない。
押し付けられ続けた人間の末路
もっとも、君たち人間として生きている間においては、夢や希望が叶わなかったり、心が少し病んでしまったりすることがあっても、それ自体はそれほど大きな問題ではないと、言えるだろう。
もちろん、楽しい人生ではなくなるかもしれないし、夢や希望が叶わないという現実は、どこか虚しさやつまらなさを感じさせるだろう。
しかし、まだこの段階では、そこまで重大な事態とは言えないのだ。
だが――もし、この「押し付けられ続ける人生」を、何年も、何十年も続けてしまったとしたらどうなるのか。
君たち人間がこの人生を終えたとき、心の奥深くで「自分は無駄な一生を送ってしまったのではないか」と感じる可能性が高くなっていく。
君たち人間は、この物質世界に生まれてくる前に、ある程度の目標や夢、テーマのようなものを持ってやって来るのだ。
「今回はこういうことに挑戦してみよう」「前の生ではここがうまくいかなかったから、今度こそやってみよう」
そういった意図を抱きながら、人間という形を選び、生を受けるわけである。
つまり、「やりたいこと」「試したいこと」がなければ、人間として生まれてくる段階にすら至らない。
逆に言えば、今こうして人間として生きているという事実があるということは、君たち一人ひとりに、もともと何かしらの“意志”があったということになるのだ。
もちろん、人間として生まれてくるときにその記憶はすべて忘れてしまっている。
だからこそ多くの人間が「自分は何をするために生まれてきたのだろう」と迷う。
だが、生きていく中で少しずつ、「ああ、自分はこういうことをやりたかったのかもしれない」「こっちの道のほうがしっくりくるな」といったように、記憶ではなく“感覚”として思い出していくものなのだ。
ところが、誰かに何かを押し付けられる人生をずっと歩んでしまうと、人生を終え、肉体を離れたあと、再び“あちらの世界”へと戻ったときに、はたと思い出すことになる。
――ああ、自分はあの人生で、あれをやりたかったんだ。
――それを成し遂げるために人間として生まれてきたのに、何ひとつできなかったな。
――ただ、誰かの期待に応え続けただけで、自分の心の望みには、まったく従わなかったな。
そのときに感じるのは、悔しさ、残念さ、そして「やり直したい」という思いだ。
それはちょうど、こういう感覚に近い。
たとえば、今日は白菜を買おうと思って八百屋に行ったのに、気づけばニンジンと玉ねぎだけを買って帰ってきてしまった。
目的だった白菜を買い忘れたと気づいたときに――
「あれ、なんで肝心の白菜を買わなかったんだ?」
「白菜の漬物が食べたくて出かけたのに、意味なかったじゃないか」
――と、そんなふうに思うだろう?
まさにそれと同じように、君たち人間は人生の終わりに近づいたとき、あるいは終えたとき、本来目指していた目的を果たせなかったことに気づき、深い後悔を覚えることが多いのだ。
そしてそのとき、多くの魂は「人生をやり直したい」と願う。
これが輪廻転生の大元である。
だが、それはもう一度新たな挑戦をするチャンスを得られるまで、またしばしの時を待たねばならない。
だからこそ、今この瞬間を、自分の意志で生きることが何よりも大切なのである。
7次元覚醒して分かること:引けば引くほど押される
これは、君が7次元に目覚めたときに深く理解することなのだが――
君たち人間は基本的に、「引けば引くほど押される」という体験をこの世界で繰り返している。
この「引く」「押す」という関係性は、まさに3次元的な二極の仕組みである。
つまり、押せば引かれるし、引けば押される。
これは恋愛などの駆け引きの中で耳にしたことがあるかもしれないが、本質的にはもっと深い次元の話なのだ。
たとえば、誰かに何かを押し付けられていると感じるとき――そのとき君たち人間は、実は無意識のうちに「引いて」いる。
少し引けば少し押され、強く引けば強く押される。
そうした押し引きの構図を、君たち人間は3次元の世界で体験することになるのだ。
だからこそ重要なのは、引くでもなく、押すでもない――
その「中庸」の位置を見つけることである。
つまり、静かで安定した中心点。そこに気づく必要があるのだ。
では「引く」とは何か。
それは、自分に自信がない、自分にはできない、自己肯定感が低い、自分が悪いと決めつける――
そういった、自らの価値を低く見積もる思考、すなわち3次元的な考え方のことである。
このように自分の価値を引き下げていると、周囲からどんどん押し付けられるような状況が生まれていく。
それは、我々宇宙が君たち人間を嫌っているわけではない。
君たちを罰しようとしているわけでもない。
ただ、それが我々宇宙の原理だからだ。
君たちが「引く」限り、その反作用として「押される」という状況が自然と発生する。
そして、押され続けることで、君たち人間はいずれ気づくことになる。
――「もう嫌だ」「私はこうしたい」「こう生きたい」
そうした、自分の内なる本当の思いに、ようやく触れるのだ。
だが、それに気づくまでの間は、君たちは無意識のうちにずっと引き続け、その結果として、押し付けられるという現象が何度も起こり続けることになる。
それは苦しいかもしれない。
だが、その繰り返しのなかにこそ、「自分の本当の意志」に出会うための道が隠されているのだよ。
5次元の住人は押し付けられることはない
5次元の住人というのは、基本的に「押すこと」も「引くこと」もしない。
3次元に存在する「押す」「引く」という二極のエネルギーのどちらにも偏らず、中立で、フラットな立ち位置に自然と立っているのが特徴である。
彼らは、その中庸の位置に立ちながら、ただ前を向いて進んでいく。
だからこそ、前に歩めば歩むほど、見える景色も変わり、人生そのものが滑らかに展開していく。
しかしこれに対して、「押し付けられている」と感じる3次元的な状態とはどういうものかといえば、それはまるで「後ろ向きに歩いている」ようなものだ。
もちろん、肉体の目は前についている。
けれども、心の向きが反対を向いているのだ。
5次元の住人が、前向きなエネルギーで進んでいるのに対し、3次元で「押し付けられている」と感じている状態の君たち人間は、
無意識のうちに、過去や恐れ、無価値感といった後ろ向きの波動のなかで足を動かしている。
それが、いわゆる「負のサイクル」「負のスパイラル」と呼ばれる状態である。
そのサイクルに陥ると、自分の価値、自分の気持ち、活力、気力といったものが、どんどんと削がれていく。
そして、そのように自分の内なる価値が下がった分だけ、外からの「押し付け」をより強く感じる現象が起こってくる。
この状態を外から見ていると、被害者意識がどんどん強くなっていくのが分かる。
「あの人間にこんなことをされた」「社会がこうだから仕方ない」「周りが押し付けてきた」
――そんなふうに、環境や他者によって「被害を受けている」という認識が深まり、ますます自分の力を手放してしまう傾向がある。
そして当然のことながら、引けば引くほど、押される力も強くなる。
それが3次元の法則であり、我々宇宙の原理でもある。
だからこそ、傍から見ていても、「どうかそのぐるぐる回っているサイクルを、逆に回し始めてくれたら…」と感じるものだ。
このように、君たち人間は、「引けば引くほど、押し付けられる」という構造の中で生きている。
だがそのことに気づき、中立の位置に立ち、前を向いて歩み始めたとき――
押されることも、引くことも、意味を持たなくなる。
それこそが、5次元の生き方なのだ。
押し付けられずに自由に生きるには?「7次元的な生き方」3つのポイント
では最後に――
「逆回転」させるにはどうすればよいのか。
押し付けられることなく、自由に、自分の意志で生きるにはどうしたらよいのか。
その鍵となるのが、7次元的な生き方の3つのポイントである。
この3つの視点を持つことで、君たち人間は徐々に“押し付け”というループから抜け出し、本来の自由なエネルギーの流れへと戻っていくことができる。
では今から、その3つのポイントについて、話していこう。
1,一旦受け取る
まず1つ目のポイントは、「一旦受け取ること」である。
何かを「押し付けられた」と感じたとき、君たち人間はまず、その出来事を一旦受け取るという姿勢を持つことが大切だ。
ここで言う「受け取る」とは、それをすぐに受け入れることでも、拒絶することでもない。
ただその出来事に、きちんと“目を向ける”ということだ。
たとえば、嫌な仕事を押し付けられたとしよう。
そのとき、「ああ、今、自分は何かを押し付けられたと感じている」と、まずその事実そのものを客観的に見る。
相手が何を言ったのか、どんな状況だったのか、何を渡されたのか。
その“押し付けられた”と思った出来事を、感情に飲まれずに一度、見つめるのだ。
ありがちなのは、「押し付けられた」という嫌悪感から、相手を避けたり、状況から逃げたり、全てを拒否したりしてしまうことだ。
だが、それでは本質が見えなくなる。
というのも、押し付けられたように見えるその出来事の中にこそ――
実は君たち人間が自ら引き寄せたものが、紛れ込んでいるのである。
「引く」とは、単に受け身になることではない。
それはときに、「自分にはできない」「自分は価値がない」と思うことで、自分の波動を下げてしまう行為でもある。
だがその裏側には――
「本当はこうしたい」「こうなりたい」「これが欲しい」という、君自身の魂の欲求が必ずある。
たとえその願いが曖昧で、勘違いに近いものだったとしても、押し付けられるほどに、実は君自身が「何かを強く引き寄せようとしている」エネルギーが存在しているのだ。
だからこそ、一旦立ち止まり、押し付けられたと感じた出来事をよく見てほしい。
――これは一体、何を意味しているのか?
――自分は今、何を引き寄せようとしていたのか?
――我々宇宙から、自分に届けられようとしているものは、何だったのか?
まずはそこを見つめることで、君たち人間ははじめて、「押し付けられた」という幻想から目を覚まし、本当の意図に気づくための第一歩を踏み出すことができるのだ。
2,選択する(拒否)
そして、押し付けられずに自由に生きるための2つ目のポイントは――「選択すること」である。
「押し付けられた」と感じる出来事の中には、実は君たち人間が欲しかったものと、欲しくなかったものが入り混じっている場合が多い。
だからこそ、まずその内容を一つひとつ丁寧に見て、選び直す必要があるのだ。
たとえば――
「この部分はありがたかったが、ここは必要ないな」
「この提案には共感できるが、この条件だけは受け入れられない」
そんなふうに、君たち人間自身が自ら選び取る姿勢が大切になる。
そして、「これは欲しい」と思うものがあれば、それを素直に認め、受け入れることだ。
同時に、「これは違う」「これは望まない」と感じるものがあれば、拒否してもよいのである。
拒否することは、悪いことではない。
むしろ、自分の軸を明確にするうえで、必要な行為なのだ。
君たち人間には、いつでも「選ぶ力」が与えられている。
それは我々宇宙が、生まれる前から授けてきた自由意志である。
その自由意志を使い、自分にとって必要なものと不要なものを見極め、恐れずに取捨選択すること――
それが、押し付けられた現実を、自分自身の現実へと変えていく力となる。
「選ぶ」ことは、「自分で人生を創造する」という意志のあらわれでもあるのだ。
3,素直に求める
そして、押し付けられずに自由に生きるための3つ目のポイントは――「素直に求めること」である。
君たち人間が、自分は本当は何を求めているのか、何を理想としているのか、どんな状況を望んでいるのか――
そういったことを素直に認めることができたならば、あとはただ、純粋にそれを求めればよい。
何のねじれも、曇りもない心で、「私はこれが欲しい」「私はこう在りたい」と、自分の本当の願いを明確にすることができたとき――
我々宇宙は、その願いを自然と君たちのもとへ届けようと動き出す。
そしてそのとき、君たちはもう「押し付けられた」とは感じないだろう。
代わりにこう思うはずだ。
「ラッキー! 私が欲しかったものが、ちょうどいいタイミングでやってきた」と。
だが一方で、自分が求めているものが曖昧であると、人生の中に登場するものも、また曖昧になる。
ぼんやりとした願いには、ぼんやりとした現実が応える――それがこの世界のしくみだ。
そうして曖昧な願いの中には、ときに「迷惑な要素」や「不要なもの」が混ざってくることもある。
その中に、自分の望みに似ているようで違うもの、期待していなかったものが紛れてくるのである。
そして君たち人間が、その曖昧な何かを「必要だ」と勘違いして強く求め始めると、次第に「押し付けられている」という感覚に変わっていく。
だからこそ――
自分は何を求めていたのか?
どんな未来を望んでいるのか?
何を“欲しい”と心から感じているのか?
それを素直に、誠実に、明確に認めること。
それこそが、押し付けられる現実から解放され、自由に生きるための3つ目の鍵なのである。
まとめ
君たち人間は、3次元にいる間、誰かに何かを「押し付けられた」と感じることがあるだろう。
だが、たとえその相手――状況や環境が、君たちよりも大きく、強く、到底かなわないように見える存在であったとしても、本質的には、君たち人間は一度も「押し付けられた」ことはないのだ。
「押し付けられた」と感じるとき――
それは外から何かが力づくでやって来たのではなく、君自身が強く強く“引っ張っていた”からにほかならない。
だからこそ、まず「引くこと」をやめよう。
その場に立ち止まり、意志を持って前に進むのだ。
そうすれば、流れは静かに、そして確実に逆回転を始める。
やがて君は、誰かに何かを「押し付けられる」ことがなくなり、自由に、自分らしく生きるという状態へと移行していく。
そしてそのとき、君たち人間は4次元へと自然に上昇していくことができるだろう。
すべては、自らの選択と意識の在り方次第なのだ。
藍玉は、君たち人間の次元上昇を、応援している。