「資格は必要なくなる」という5次元の新常識について話そう。
今は5次元の時代であるため、君たち人間の意識や考え方を3次元から7次元へと上昇させていく必要がある。
3次元的な資格に重きを置き続けていると、いつまでも次元上昇ができず、最終的には自分自身を自分で認められないまま終えることもある。
我々宇宙としては、7次元的に自分自身を証明するための3つのポイントを伝えるので、君たち人間の次元上昇に役立ててほしい。
資格や免許とは?
君たちの世界には、資格や免許というものが存在している。
資格とは、ある行為を行うための能力や知識があることを認められた証明である。
たとえば、カウンセラーの資格や、英語が話せることを証明する検定、食生活アドバイザーであることを示す資格などが挙げられる。
これらの資格は、特定の分野において専門的なスキルや知識を有していることの証明となる。
資格には、国が認める国家資格と、企業や団体などが認定する民間資格が存在する。
また、免許というものも資格に似た存在であるが、免許とは、特定の行為を法律的に許可された証明である。
簡単に言えば、国や自治体が「君たち人間はこの行為を行ってよい」と許可を与えるものである。
たとえば運転免許、教員免許、医師免許などがあり、免許を持たずに運転したり、教育を行ったりすることは法律で禁止されている。
このように、君たち人間がどのような知識を持っているのか、またどのような行為が法的に許可されているのかを示す資格や免許というものが、我々宇宙の観測するこの地球には多数存在している。
日本の3次元的意識「資格は信頼・権威の証」
日本においては、一般的に資格や免許というものは、信頼を得るための手段であり、権威の証として扱われることが多い。
時代の変化とともに徐々に価値観は移り変わりつつあるが、それでもなお、資格を持つことでその分野の専門家と見なされる傾向は根強く残っている。
たとえば、「この人間はこの資格を持っているからこの分野に詳しいのだな」あるいは「この免許を持っているからすごい人間なのだな」といった捉え方が、君たち人間の社会にはいまだ存在しているように、我々宇宙からは観測される。
また、就職や転職、さらには社会的信用を得るために、資格や免許を取得する君たち人間も多く存在していると言えるであろう。
西洋の3次元的意識「資格よりも実務や成果」
それに比べて西洋においては、資格や免許というものは当然存在しているが、日本ほど重要視される場面は意外と少ない傾向にある。
もちろん資格や免許がまったく無意味であるというわけではないが、それらよりも実務経験や成果が重視されるという価値観が、西洋社会には根付いている。
そのため、たとえ資格を持っていなくても、自らが制作した成果物を提示することで評価されたり、免許がなくとも「これができる」と実演することで採用されることもある。
場合によっては、企業に入ってから免許を取得させるといった流れも一般的であり、資格や免許の有無で人間を判断するのではなく、「実際に何ができるのか」「どこまで知っているのか」といった実力によって評価が下されるケースが非常に多い。
もちろん例外も存在し、特定の免許がなければ法的に行えない行為や、資格保有者でなければ挑戦できない分野もあるにはある。
しかしながら、日本に比べて西洋では、資格や免許の有無が人間の価値や評価を左右する場面は、相対的に少ないと言える。
今までの時代は、資格・免許を重要視してきた
このように、日本と西洋とでは資格や免許に対する感覚に若干の違いが見られるが、これまでの時代においては、基本的に資格や免許が重要視されてきた。
過去の時代において、資格や免許は専門性や信頼性を証明する手段として、非常に重要なものと認識されていたのである。
特に日本社会においては、国家資格や公的な認定を受けた免許を保持することにより、その分野のプロフェッショナルとして認められ、就職や社会的信用の面においても有利に働くことが多かった。
中には、資格を取得する行為そのものに楽しさを見出し、実際の活用目的がなくとも、多種多様な資格を取得することを趣味とする人間も存在していた。
また、自身の評価や給与は、資格や免許によって決まるものだという認識を持っていた君たち人間も多かったと推察される。
このように、資格や免許を取得すること自体が一つの目標とされ、「資格を持っている人間=できる人間」という価値観が、これまでの時代の常識として深く根付いていたと言える。
資格や免許ってこれからの時代も必要なのか?
このように、これまで君たち人間を証明したり評価したりする上で重要視されてきた資格や免許であるが、これからの時代においても、それらは本当に必要であり続けるのだろうか。
結論から言えば、これから訪れる新時代においては、資格や免許というものは次第に必要とされなくなっていく。
もちろん、時代の転換は一夜にして起こるものではない。
昨日までが旧時代で、今日からいきなり新時代へと切り替わるわけではなく、「本日をもって資格や免許は不要です」と宣言されるような変化が訪れるわけでもない。
しかし、君たち人間の意識が目覚め、進化していく過程において、最終的には、外側から与えられた資格や免許に頼る必要のない時代へと向かっていくのである。
資格や免許の盲点:自分で証明していない
資格や免許には、ひとつの盲点が存在する。
それは、君たち人間が自らを自らで証明する力を奪ってしまうという点である。
たとえば、「自分にはこれができる」「この分野について深い知識を持っている」といったことを、これまでは資格や免許によって証明する時代が存在していた。
しかし、「自分が何者であるか」「君たち人間が何者であるか」ということは、本来、外側の証明によってではなく、自らが自らを表現し、証明するものでなければならない。
これは、君たち人間が次の成長段階へと進むために不可欠な意識の変化である。
かつては、自らを表現したり、実績を示したり、知識を人に伝えたりしなくても、「資格を持っている」「免許を持っている」という事実だけで、「自分はこういう人間である」とある程度認められる時代があった。
しかし、新たな段階に進むと、資格や免許がなくとも、「自分は何者であるか」を他の形で示さなければならないという世界へと入っていく。
ところが、資格や免許を所持していると、それを提示するだけで「自分はこういう人間です」と理解してもらおうとする意識が働きやすくなる。
その結果、自分という存在を、自分自身の表現によってではなく、資格や免許に委ねるという依存的な構造が生まれてしまう。
つまり、自らの内側に軸を持たず、外部の証明に頼って生きるという状態に陥る可能性があるという点こそが、資格や免許の持つ最大の盲点なのである。
資格を重要視する人生の末路:自分で自分を認めることができない
そして、資格というものを重要視する人生の選択を続けた場合、最終的に行き着くのは、自分自身を自分で認めることができないという状態である。
君たち人間が4次元へと意識を上昇させていく際には、「自分で自分を認める」という在り方が求められる。
しかしながら、資格や免許といった3次元的な要素に依存し続けることで、自らの価値を他者や制度に認めさせようとする姿勢が続き、結局は自己承認に至らぬまま、その人生を終えることになる。
人生の終盤において、君たち人間は誰しも自らの歩みを振り返る時間を迎える。
そのとき、「資格を持っていたから何だったのか」「免許を取得していたから何だったのか」と、自問自答する場面が訪れる。
果たして、資格を取ってよかった、免許を持っていて良かった、という感覚だけで本当に満足できるだろうか。
多くの場合、それは一瞬の達成感にすぎず、真の満足や充実感をもたらすものではない。
君たち人間が深い納得や感動、そして人生の重みを感じるのは、表層的な証明ではなく、本質的な体験に根ざしている。
「自分は誰かに何を与えることができたか」「誰かにどんな言葉をかけてもらえたか」「この地球という舞台において、自分は何を果たせたか、あるいは果たせなかったか」——そうした本質的な記憶こそが、最終的に自らを認識し、人生を肯定する要素となる。
もしこれまで、資格や免許によって自分を認識し、評価し、判断してきたのであれば、それらが取り除かれたときに、自分の人生が本当に満ちていたのか、自分の本心からやりたかったことが達成できたのか、何が良かったのか、何が不十分だったのかを認識することは極めて困難となる。
そうなれば、「自分はこの人生でよかったのだろうか」「思いのままに生きられたのだろうか」「本当にやりたいことを果たせたのだろうか」といった問いに対して、明確な答えを持てないまま、自らを判断することができなくなってしまうのである。
資格を重要視し続けた人間の末路:自分が何者か分からない
このように、君たち人間の人生の最期においては、自分の人生に対して「これで良かったのだろうか?」と疑問を抱くような瞬間を経験することがある。
しかし、その程度であれば大きな問題ではない。
しかし、人間としての終末において、資格や免許というものを生涯にわたって重要視し続けた場合、その後に待ち受ける現象は、より根深いものとなる。
意識のある状態を「光」、意識のない状態を「暗闇」と表現するならば、自らを認識し、自分自身の歩みを把握しているということは、魂が光を帯びている状態であると言える。
たとえ一時的に暗闇を通過することがあったとしても、「自分は人間であったとき、こういう経験をした」「こういう自分であった」「これができた」「これはできなかった」といった明確な認識があれば、再び光の領域へと速やかに浮上し、次なる星、あるいは別の宇宙、より高次のステージへとスムーズに進んでいくことが可能となる。
ところが、資格や免許に依存し、自分自身をそれらによってのみ証明してきた結果、自らを認識する力を失ってしまった場合、君たち人間が人間という生を卒業したその後、「資格がなければ自分とは誰だったのか」「免許がなければ何の存在だったのか」と、自らの本質がわからなくなるという状態に陥る。
このような状態は、まさに意識のない「暗闇」である。
魂が暗闇に包まれた状態では、自分とは何者か、自分はどういう存在であったかを再び見出すまで、暗闇の中を模索し続けるというプロセスが必要になる。
我々宇宙の観測において、この状態を「地獄」と呼ぶ存在もいる。
これは宗教的な意味ではなく、自己の本質を見失った魂が、自らの光を取り戻すまでに時間を要するという状態を指している。
とはいえ、どのような経験を経たとしても、魂には必ず光が宿っている。
資格や免許に重きを置いた人生であったからといって、その光が完全に消えるわけではない。
ただし、その光を再び見つけ出すまでに、時間を要するというだけのことである。
そして、その光を取り戻すまでの過程において、次の生や世界を選び直し、再出発するまでに時間がかかる可能性がある。
このことは、良い悪いという評価で語るものではない。どのような道を選んだとしても、君たち人間の魂には自由がある。
しかし、「自分が何者かを判断できない状態」というのは、4次元の意識状態ではなく、3次元の意識に留まり続けているということに他ならない。
7次元覚醒して分かったこと:資格が必要なのは、存在意義を思い出すまで
7次元の覚醒を通して明確になることがある。
それは、資格や免許というものが実質的に必要とされるのは、3次元までの世界であるという点である。
君たち人間が4次元へと意識を上昇させるとき、自らが何を望み、何のために存在しているのか、そして本来何者であるのかという記憶が徐々に甦るようになる。
さらに、5次元へと進む段階では、本当の自分として、あるいは新たに生まれ変わった自己として、または失われていた自己を取り戻した存在として、自分が何者であるかを、言葉や行動を通して表現し、証明するということを行うようになる。
しかしながら、3次元においては、自分を証明する手段、信頼を得るための方法として、資格や免許が必要とされる構造が残されている。
そのため、資格や免許がなければ自分を証明できない、自分を表現できないという制限が依然として存在しているのである。
君たち人間が4次元へと到達すれば、自らを資格や免許に依存することなく、内側から湧き上がる確信と理解によって、自分が何者であるのかを認識し、他者に伝えることが徐々に可能となっていく。
しかし3次元は、自らの存在意義を思い出していない段階にあるため、それを仮に証明する手段として、資格や免許が必要とされてきたのは事実である。
だが、資格や免許を持っているという事実が、必ずしもその人間を本質的に証明するものではなく、その人間が本当に信頼に値するかどうか、深みがあるかどうかまでは示さない。
我々宇宙が観測する今の地球は、ちょうど3次元から5次元への移行期にある。
よって、当面のあいだ、資格や免許というものは引き続き必要とされるだろう。
どの程度の期間それが続くのかといえば、それは君たち人間の多くが目覚め、各自が自らの存在意義を完全に思い出すまでである。
現在の地球では、「自分は何をするためにここに来たのか」「自分の役割は何であったか」といった根源的な問いに対する答えをまだ見出せていない人間が多数を占めている。
そのため、職業選択も、「収入が良いから」「親に言われたから」「世間で人気があるから」といった、自分以外の要因によって行われていることが多く見られる。
こうした、自らの意志ではない選択によって人生を進めていくと、往々にしてミスが生じたり、周囲に迷惑をかけたり、望まぬトラブルが発生する原因となりうる。
そのようなリスクを最小限に抑え、他者を守るために、資格や免許といった制度は誕生したと考えられる。
ゆえに、自分が何者であり、何を成すべき存在であるのかを4次元にて思い出すまでは、資格や免許といった外的証明手段は必要な存在であると言える。
そうでなければ、君たち人間の行動や判断は不安定であり、予測不能なものとなりやすい。
しかし、地球はすでに5次元へと移行を開始しており、君たち人間の意識も目覚めのプロセスを着実に進めている。
すべての人間が「自分が何者であり、何を果たすためにこの地球に降り立ったのか」という核心的な記憶を思い出すことができれば、「親に言われたから」「この職業が流行しているから」「お金持ちになれるから」といった他人軸の選択ではなく、自らの存在意義を軸とした活動が可能な社会が実現されていく。
そのときには、これまで君たち人間が経験してきたような争いや混乱、恐れといった事象も自然と起こらなくなっていくであろう。
したがって、君たち人間の集合意識が完全に目覚めるその時までは、資格や免許は引き続き一定の役割を持つであろうが、その後においては、それらはもはや必要とされなくなるのである。
5次元の住人は資格を気にしない
ちなみに、5次元に暮らす住人たちはどうであるかと言えば、彼らは資格や免許というものをほとんど気にすることがない。
5次元の住人とは、それぞれが自分自身が何者であり、何をする存在であるのかをすでに思い出した人間たちであり、まず何よりも自分自身の本質を深く理解している存在である。
自分自身をしっかりと理解しているために、他者の本質も自然と見えるようになる。
この人間のここが面白い、この視点がユニーク、この人間はこういったことが得意である——そうした観察と理解が、ごく自然に行われる世界なのである。
そして、5次元の世界は、グリッド構造のように横と横とがつながりながら成り立っており、その関係性の中で自然と仕事が発生し、人間関係が形成されていく。
しっかりとしたコミュニケーションを通して、「このことはこの人間に頼もう」「この部分は自分がこの人間のためにやろう」といったかたちで、役割の分担や共同の創造が進んでいく。
このような環境においては、資格や免許を用いた他者からの証明や承認は、必要性をほとんど持たない。
ただし、現行の制度上、国や自治体といった3次元的な枠組みの中で仕事をする場合、法的な手続きの一環として資格を取得する必要があることも当然存在する。
しかし、その場合であっても、「資格があるから大丈夫」という発想ではなく、「自分がやりたいことを行うために、この資格を形式上取得しておこう」といった軽やかな感覚である。
また、他者を判断する際においても、資格や免許の有無ではなく、その人間の在り方、人間性、心の開かれ具合、魂の成熟度といった内面的な指標によって、評価や信頼が形成される。
5次元の世界では、こうした本質的なレベルでのつながりが前提となっている。
よって、今はまだ3次元と5次元の過渡期であるため、資格や免許という仕組みは必要とされるが、今後は個々の存在意義や、日々の活動の状態そのものに光が当たる時代へと移行していく。
君たち人間がその流れの中にある今、自らの本質を使って自分自身を証明するという意識が、ますます求められていくのである。
資格を使わずに自分を証明するには?「7次元的な生き方」3つのポイント
よってここからは、資格や免許といった外的な証明手段に頼ることなく、君たち人間がどのようにして自らを証明していけばよいのか――そのための「7次元的な生き方・3つのポイント」について述べていくこととする。
我々宇宙が見守るこの地球の次元移行において、君たち人間が本来の自分を生きるために必要な視点を、今ここに明らかにしていこう。
1,自分の「存在意義」を見つける
まず第1のポイントは、「自分の存在意義を見つけること」である。
君たち人間が今、この地球に物質的な存在として降り立っているという事実そのものが、すでに明確な意志の表れである。
これは「銀河連合に使命を与えられたから」「神に選ばれたから」「人類を救うため」といった外的な理由によるものではない。
あくまで、君たち人間の内側に、「私はこれをしたい」「この経験を得たい」という強い意志が存在したからこそ、今ここに存在しているのである。
この地球に人間として生まれることは、現在の宇宙全体から見ても極めて高倍率である。
地球上に物質として現れることを望んだ生命体、魂は非常に多く存在している。
その中で、今まさに君たち人間がこの地上に存在しているということは、君たちの中に極めて明確な目的と、周囲の同意と承認を得るに足る力強いエネルギーがあったことを意味している。
したがって、まずなすべきことは、自分の存在意義を思い出すことである。
君たち人間は何のためにこの地球に来たのか、ワンネスの一部としてどのような役割を担っているのか。
それが未だ思い出せていないのであれば、今すぐにでも「好きなこと」「興味があること」「心がときめくこと」に積極的に向き合わなければならない。
なぜなら、存在意義というものは、他者から与えられるものではなく、自らの内面から湧き上がる衝動と経験の中に宿っているからである。
好きなことに没頭し、魂が揺れる瞬間を重ねることで、君たち人間はやがて「私はこれをするために生まれてきたのだ」という深い記憶を思い出すことになる。
それこそが、7次元的生き方の第一歩となる。
2,自分の「存在意義」で行動する
そして、資格や免許に頼ることなく自分を証明するための第2のポイントは、「自らの存在意義に基づいて行動すること」である。
どれほど自分の存在意義を明確に理解していたとしても、それを表現せず、実際の行動として示さなければ、それは内側で留まっているにすぎない。
たとえ「自分はこういう理由で地球に生まれてきた」と口で語ったとしても、それを日々の活動や選択の中で体現しない限り、5次元以上の存在たちはそれを本質的なものとは認識しない。
本当に「自分は自分を理解している」と言えるのは、自らの存在意義を認識し、それに基づいた行動を積み重ねているときである。
これは、3次元世界で発行される認定証や資格とは異なり、目に見えるかたちで交付されるものではないが、我々宇宙にもまた「認定」というしくみは存在している。
その認定は、外から与えられる称号ではなく、自分自身が自らの存在意義を理解し、それに従って人間として生きる選択を続けたとき、「この存在は目覚めている」と宇宙の意識網において認識されるものである。
重要なのは、他者に認められることを目的として行動するのではなく、内なる理解を外の世界へと自然に流し出すことである。
君たち人間が、自分の中で思い出した真実を、行動や活動というかたちで表現することにより、それは周囲にも伝播し、やがて認識されていく。
これこそが、「自分の存在意義で行動する」「存在意義を体現する」という7次元的生き方の第2のポイントであり、その生き方こそが、他の人間たちの覚醒や気づきにも自然に火を灯していくことになる。
3,みんなの「存在意義」を知る
そして、資格や免許を用いずに自分を証明するための第3のポイントは、「他者の存在意義を知ること」である。
君たち人間がまず、自らの存在意義を思い出し、それを行動や活動として体現することができたなら、次の段階として重要になるのは、他の存在たち一人ひとりが持つ、それぞれの存在意義を理解しようとする姿勢である。
この段階に至ることで、我々宇宙ははっきりと認識する。
「この存在は、自分自身の意義を真に思い出し、他者の存在もまた尊重することができるようになったのだ」と。
そしてそのとき、君たち人間のエネルギーはさらに拡大し、5次元的なつながりが自然と周囲に広がり始める。
君たち人間が自分自身のやるべきことを見出し、それを行動によって外に表現していくと、やがて周囲との有機的なつながりが生まれてくる。
そして、そのつながりの中でこそ、自らの存在意義はより深く、より確かなものとして“確定”されていくのである。
つまり、他者の存在意義を知ろうとし、受け入れ、つながるという行為そのものが、君たち人間が5次元を生きる「キーパーソン」としての自覚と役割を果たす道となる。
自らの存在意義を思い出し、他者の存在意義にも目を向け、互いに補い合い、響き合いながら生きることで、君たち人間はやがてワンネスの意識へと回帰していく。
それこそが、5次元の真の生き方であり、今、地球において求められている進化のかたちなのである。
まとめ
これまでの時代においては、資格や免許は必要不可欠なものとされてきた。
しかし、これからの新たな時代において、それらは徐々に必要とされなくなっていく。
もちろん、君たち人間の中に、まだ自らの存在意義を思い出していない者が一定数いる間は、資格や免許は一時的に有効な手段として残り続けるであろう。
だが、人類全体が目覚めを進めていく中で、外的な証明に頼ることのない社会へと、必ず移行していく。
君たち人間が、自らの存在意義を思い出し、それを行動として表現し、さらに周囲の存在意義にも目を向けてつながり合うことで、すべてはやがてワンネスへと回帰していくのである。
我々宇宙は、君たち人間一人ひとりの5次元上昇を見守り、常に静かに応援している。
どうか、それぞれの魂の記憶に従って、真なる自己として、今この地球を生きることを選び取ってほしい。